川崎市の環境技術

多摩川と人々の暮らし

川崎は、かつて、多摩川によってもたらされた肥沃な土地での米や果樹などの農産物の生産が盛んでした。明治後半(1900年代初頭)以降、首都東京に隣接し水の豊富な好条件であることから多摩川に面し工場が進出、さらには急激な都市化に伴い水質汚濁が進みましたが、工場排水対策や下水道の普及などにより、近年かなりの改善がみられています。

多摩川と農業

1941年に完成した二ケ領用水久地円筒分水

ニケ領用水は徳川家康が1597 年に小泉次太夫に命じ、用水開発を行わせたもので多摩川右岸の川崎領と稲毛領に跨って敷設され、これにより地域の米の石高が飛躍的に伸びました。取水堰は、上河原と宿河原にあり久地で合流し、当時は分量樋で分流されました。

今も残る河港水門には多摩川の流域で栽培された川崎を代表するナシ、ブドウなどの果物が刻まれています。(川崎区提供)

多摩川の姿と人々

あみがさ事件(1914 年9 月)横浜貿易新報

度重なる多摩川の洪水に対し、農民が築提を求めて、深夜編み笠姿で県庁を目指しました。

市の取組

市は法条例による規制とあわせ、良好な水環境をめざして定めた川崎市水環境保全計画の推進、下水道普及の促進などに取組み、今では水質汚濁の改善がみられています。