被害を受けた住民は苦情や請願を行うとともに、国や企業などを提訴し、公害防止条例の制定に向けた取組などを行いました。それら市民の取組が公害対策の推進を促す原動力となり、市民、企業、行政が連携して公害克服に向けた取組を進めていきました。
市民、企業、行政の連携した取組
市民の取組
公害の被害を受けた市民は、大気汚染をはじめとする環境改善のために抗議の声をあげ、損害賠償を求める訴訟を起こしました。また、公害監視会議などを通じて公害対策に参加しました。さらに、環境に優しい生活スタイルを取り入れる人々の輪も広がっていきました。
企業の取組
公害防止装置の設置や良質な燃料への転換などの対策を進め、硫黄酸化物や窒素酸化物などの排出量を減らしていきました。(詳細は12頁参照)
行政の取組
川崎市では公害対策を実施する部署を強化し、1972年には全国に先駆けて総量規制を盛り込んだ条例を公布しました。また、法律や条例に基づき、企業の監視指導や立入検査等を行うとともに、市民に情報提供や説明を行いました。(詳細は7~10頁参照)
川崎公害訴訟
公害被害を受けた市民は、健康被害への損害賠償などを求めて裁判を起こしました。(1982年、1983年、1985年、1988年)
1996年 原告と13企業の和解成立
1999年 原告と国及び首都高の和解成立
公害監視会議(1972年度~2000年度)
公害監視会議は、川崎市公害防止条例に基づき、市の公害行政に市民の意見を反映させ、市民参加による行政を進めるために、1972年に設置されました。この監視会議は、市長の付属機関として、市が行う公害の発生源の監視方法及び公害防止の措置について、審議又は調査を行うことを目的とし、各区に設置されました。
監視会議委員は各区20名で構成され、任期は2年でした。